「知らぬ存ぜぬ」では収集がつかない事態に
4/24週刊文春にて報じられた【二股不倫】により、遂に俳優 永野芽郁さんを起用していた全企業が、画像を削除することとなりました。
所属事務所は3週間が経過した現在も、二股不倫の否定のみに留まり、世論を覆すような説明ができないためか、釈明会見も行っていないという状況です。
歯止めが効かず、じわじわと進んでいく永野芽郁さんのイメージ低下。
最後の1社となったSK-Ⅱも、消費者への体面を考えた上での判断となったようです。
なぜ人は「くだらない」と思いながらも、不倫をバッシングするのか
突然ですが、皆さんは自分が人気のラーメン店に1時間かけて並んでいたとして、順番を抜かされたら嫌な気持ちになりませんか?
私ははっきり「並んでいます。最後尾はあちらですよ。」と言ってしまうタイプです。
そして伝えてみると、これまた面白いことに、私の経験上の話にはなりますが、横入りをしようとしてした人は100%謝りません。
何も言わずにそそくさと後ろへ回るか、「えーじゃあどうするー?」と、横入りしようとして たしなめられたことには一切触れずに、同行者と相談を始めます。
「私は気にしません。」という強者もいらっしゃるかもしれませんが、ではこれはどうでしょう。
ずっと欲しくて、一生懸命お金を貯めて購入した大切なものを盗まれてしまったとしたら?
急に取り上げられた上に踏みつけられて、汚れたり割れてしまったりしたら悲しいと思いませんか?
法に触れるか否かの差はあるとして、不倫も横入りも窃盗も、『人の大切にしているもの、築き上げてきたものを奪う』という意味では同じです。
そしてまさに今 私がしているように、「これってされたら嫌ですよね?」と人は相手に同調を求めます。
それは「うん、それは嫌だよね。なんでそんなことするんだろうね…」と共感し、慰めてほしいからです。
さらに「信じられない!私も一緒に言ってあげる!」と一緒に怒り、次の対応まで手伝ってもらえるなんていうパターンもあります。
カテゴライズする必要もないのですが、こういったタイプの人を『向社交性』と言います。
向社会性とは、他者あるいは他の人々の集団をたすけようとしたり、
引用元:鳴教大 予防教育科学センター
こうした人々のためになることをしようとする自発的な行為に関わる認知、感情、行動を指します。
身近なところでわかりやすく言えば、『電車で席を譲る』『重い荷物を運ぶのを手伝う』などが挙げられます。
よってこの視点から不倫をしている人を見ると、『自分の欲求を制御することのできない、相手の奥さんや子どもの幸せを奪う危険人物』となります。
『危険な人は排除しなければならない』し、『同じような危険な思考を持つ人を減らすために』社会的制裁を与えなければならず、それが『バッシングをする』という行為に繋がります。
そういった意識を持つ人々がいるからこそ、お互いの平穏な日常が保たれているため、一概に『バッシングをする人が悪い』という話ではありません。
ただその正義感の強い人の意見に乗っかって、面白半分で誹謗中傷をする人がいることも事実でしょう。
社会に与えるインパクトは大きい『芸能人の不倫』
芸能人に関しては『イメージ=商品』です。
かつてのベッキーさんや、今回の永野芽郁さんのように、視聴者が抱くイメージと実情との差が大きければ大きいほど、視聴者は裏切られたような気分になってしまうものです。
私は恋愛リアリティーショーが好きでよく見るのですが、現在ABEMAで放送中の『ウェディングウォーズ』で冒頭のナレーションを、アンジャッシュの渡部健さんが担当されています。
渡部さんの『多目的トイレ』の不倫騒動は、2020年の6月のことです。
にも関わらず、まだ生理的に受け入れることができない自分がいることに、自分でも驚きました。
渡部さんのケースは、今回の田中圭さんと永野芽郁さんの恋愛の末の不倫(疑惑)とはまた違います。
本来 車いすを利用されている方やご高齢の方、お子様連れの方が利用しやすいようにと設けられているはずの『多目的トイレ』を、不倫密会の場所にし行為に及んだため、それに対しても『非常識』と非難の的となりました。
5年が経過しても、一度感じてしまった嫌悪感は払拭できないのです。
ここまでくると、一種のトラウマ(心的外傷)とも言えます。
まとめ
『不倫は本来 夫婦間の問題』であるにも関わらず、芸能人の不倫となると、社会に多大なインパクトを与えます。
芸能人であっても一人の人間ですから、常に『人の模範』となるような行動をし続けることには無理があるでしょう。
しかし自身の影響力を鑑み、『節度のある行動を求められている』という自覚を持つ必要はあるでしょう。
他人の不倫に対して不快感を抱いてしまうことに、自分の心が狭いのかなと思ってしまうこともありますが、『嫌なものは嫌だ』という自分の気持ちを、自分で受け入れてあげることは大切かなと思います。